スタジオジブリ設立以前に製作された映画「風の谷のナウシカ」はジブリの原点ともいえる作品です。
汚染された世界という独特の世界観の中でたくましく生きるナウシカの姿が人気を呼び、「風の谷のナウシカ」は公開から35年以上経った今なお多くの人に愛されています。
しかしそんな「風の谷のナウシカ」にも、噓のような裏設定や怖いウワサ話が都市伝説としていくつも語られているのです。
映画からは考えられないほど怖いといわれる原作の存在や、ナウシカたちは人造人間だったとする信じられないような設定など、「風の谷のナウシカ」が放送されるたびにネットで話題に上がっています。
こういった都市伝説が嘘なのか、本当なのか、原作の核心に触れながら人造人間説を中心に考察していきます。
Contents
風の谷のナウシカ原作都市伝説が怖い?
7 風の谷のナウシカ
映像化されたあの有名な映画は、この原作の2巻までのお話です。
そこから先は本当に別物。腐海誕生の謎、ナウシカ達の出生の秘密、宮崎駿さんの作る描く壮大な世界観は、読んでいて怖い時すらある
読破後の何とも言えない達成感が凄い pic.twitter.com/AbOTrIM3NP— ほんまぐろ (@Honma_Toro) November 15, 2016
映画の原作となった漫画版「風の谷のナウシカ」をご存知でしょうか。
原作漫画を描いたのはジブリの代名詞ともいえる監督、宮崎駿です。
原作者本人の手で映画化されたことによって、キャラクターたちの生き様と独特の世界観がアニメーションとして鮮やかに描き出されています。
映画では描き切れないほど原作は殺伐として複雑な作りなので、映画「風の谷のナウシカ」の裏に深くて恐ろしい意図が込めれていると考える人も少なくはないようです。
風の谷のナウシカには原作がある?
「風の谷のナウシカ」はアニメ映画として有名ですが、監督である宮崎駿自身がアニメージュで連載した漫画が原作です。
アニメ映画の企画を「原作のない映画は作れない」と却下されたことがきっかけで描き始めたのが漫画「風の谷のナウシカ」でした。
「せっかくなら漫画でしか描けないものを漫画にしよう」と描いていたところ映画化が決まり、映像化することを前提としていなかったので映画「風の谷のナウシカ」製作にはとても苦心したといいます。
連載中に映画化されたため、漫画の1~2巻の途中にあたる部分に手を加えて2時間弱のストーリーにまとめられました。
漫画が完結したのは映画公開から10年後、1994年です。
映画のラストシーンに納得のいかなかった宮崎駿が悩みぬいた末にたどり着いた結末は衝撃的なものでした。
原作漫画に描かれた複雑で重たいテーマが、映画「風の谷のナウシカ」の都市伝説を生みだしたといってもいいでしょう。
ナウシカにまつわる都市伝説が怖い?
「風の谷のナウシカ」の都市伝説は、裏設定や世界観に関するものが多いようです。
作品やキャラクターへの理解が深まるようなものもあれば、中には作中の描写から「もしや…」と思い、ゾッとするウワサもあります。
いくつか代表的なものをあげてみましょう。
・ナウシカのモデルは二人の姫
・ナウシカは小人だった⁉巨神兵は人間サイズ?
・「風の谷のナウシカ」は火星が舞台?
・巨神兵と「ラピュタ」のロボットが似てる!二つの世界はつながってるの?
・ナウシカたちが人造人間って本当?
ナウシカのモデルは二人の姫
ナウシカのモデルといわれているのが、ギリシャ叙事詩「オデュッセイア」に登場するパイアキアの王女「ナウシカアー」と、平安時代の短編集「堤中納言物語」に語られる「虫めづる姫君」です。
「風の谷のナウシカ」のヒロイン、ナウシカの名前の由来ともなっている「ナウシカアー」は、「俊足で空想的な美しい少女」であると宮崎駿が原作漫画第一巻の裏表紙で語っています。
自然を愛する美しく聡明な「ナウシカア―」は誰の目にも魅力的でしたが、彼女自身が優れた感受性の持ち主であったため同じような感覚を持つ男性を求めており、数々の求婚を断っていました。
ある日海岸で遊んでいると半死半生で漂着したオデュッセウスを見つけ、傷を手当てして竪琴と歌声で彼の心を癒しました。
「ナウシカアー」の父王に婿になってほしいと言われたオデュッセウスが故郷の妻の元に帰りたがっていることを知った「ナウシカアー」は彼への恋心を押し殺し、オデュッセウスを送り出したその後、彼の歌を歌う吟遊詩人になったともいわれています。
俊足で感受性にすぐれ、心優しい「ナウシカアー」はナウシカそのもので、自分を押し殺してしまう自己犠牲的なところや、傷ついた戦士を癒し心の支えとなる存在という役割もキャラクター設定に反映されているように思われます。
「虫めづる姫君」と呼ばれる虫を可愛がる少女は、平安時代の貴族の女性の常識に囚われない人物として物語に描かれています。
周囲は昆虫をこよなく愛する少女「虫めづる姫君」を不気味に思い、陰で悪口を言い合っているのですが、当の本人は芋虫に夢中で周りのことなど気にしません。
当時の平安貴族の女性は眉を抜き、歯を黒く塗ること(お歯黒)が身だしなみだったにもかかわらず、「虫めづる姫君」は眉は生やしっぱなしで歯も塗らず、髪をかき上げ、平安貴族としては非常識な姿でした。
ナウシカの蟲を愛するところはまさしく「虫めづる姫君」から受け継がれた部分でしょう。
そして常識にとらわれず、自分が美しいと思うものを信じる芯の強さはナウシカの中にもみられるたくましさです。
「ナウシカアー」と「虫めづる姫君」という二人の姫のイメージが重なってナウシカというキャラクターが生まれたと宮崎駿が語っていました。
ナウシカは小人だった⁉巨神兵は人間サイズ?
子どもの頃、ナウシカの乗る小型の飛行機メーヴェにあこがれた人も少なくはないでしょう。
メーヴェを再現するジブリ非公認のプロジェクト「オープンスカイプロジェクト」によって、実際にメーヴェの形をしたジェットエンジン搭載のパーソナルグライダーが飛行するに至ったのですが、このときに作られた機体の翼の長さは両翼合わせて9.6mで、映画や漫画に登場するメーヴェの2倍ほど翼が長いことになります。
原作通りの大きさのままではメーヴェは人を乗せての飛行は不可能なのです。
「風の谷のナウシカ」はフィクションですから再現不可能な点について問題があるわけではありません。
ところが、実は「ナウシカたちが小人だとしたら」という仮定のもとであればメーヴェは原作通りに飛行できるといわれています。
たしかにナウシカたちが小人だとすれば、蟲たちが大きすぎることにも納得がいきますし、「巨神兵の大きさが我々人間と同じサイズなのではないか」という疑惑もあながち間違いないではないように思われます。
しかしこの説が本当だとすると、古代の遺跡がナウシカたちの大きさであることや、巨人(人間サイズ)の文明の痕跡が作中に見当たらないことから、「風の谷のナウシカ」の世界は我々の知る地球とは全く違う、はるか昔から小人たちの世界であったということになります。
小人たちしか人類のいない世界なのであれば小人という設定が必要でしょうか。
作品の世界観にとことんこだわる宮崎駿が活かせない設定を残しておくとは思えないので、ナウシカたちが小人である可能性はそう高くないものと思われます。
「風の谷のナウシカ」は火星が舞台?
もう一つメーヴェが飛行可能な環境の仮説として、「風の谷のナウシカ」の舞台が火星であるとするものがあります。
火星は重力が地球の1/3なので、メーヴェの翼の大きさでもナウシカを乗せて飛ぶことができるというわけです。
火星の表面は荒涼とした砂漠が広がっており、ナウシカたちの世界に似ています。
ネット上では、「風の谷のナウシカ」の世界を有害物質で汚染した戦争=「火の七日間」という言葉に含まれる「火」という一文字が火星を指しているのではないかという声も見受けられました。
舞台を火星だとする説を後押ししているのが、人類の起源が火星にあるとする「人類火星起源説」と呼ばれるものです。
かつて火星にいた人類が何らかの理由で火星を捨てて地球にやってきたという説なのですが、このことから「ナウシカはかつて人類がいた火星を舞台にしているのではないか」とまことしやかに語られています。
1976年「火星の人面岩」が第一次オカルトブームの中で取りざたされ、それを「火星に人類の古代文明があった証拠だ」として「人類火星起源説」は一躍有名になりました。
年代的に宮崎駿が「人類火星起源説」に影響を受けていたということもあり得ない話ではありません。
しかし、一話の冒頭文で「ユーラシア大陸」という地名をあげていきさつを説明しているのです。
もしかしたら「人類火星起源説」に着想を得て描かれた部分があったかもしれませんが、舞台はあくまで地球であると考えられます。
地球と同じ地名のある火星を舞台にしているのだという主張があるとすれば完全に否定はできませんが、「風の谷のナウシカ」の舞台を火星であるとする説もあまり信ぴょう性が高いとは言えないようです。
巨神兵と「ラピュタ」のロボットが似てる!二つの世界はつながってるの?
「天空の城ラピュタ」に出てくるロボットと、巨神兵が似ているという指摘があります。
たしかに「腐ってやがる、早すぎたんだ」というセリフで有名なシーンに見られる、ドロドロに溶けながら現れた巨神兵の骨格はどことなくロボットに似ています。
この類似点から「風の谷のナウシカ」と「天空の城ラピュタ」が同一の世界なのではないかと疑う声も一部あるようですが、実はロボットと巨神兵が似ている理由は別にあります。
どちらもデザインしたのが庵野秀明だからです。
庵野秀明といえば「新世紀エヴァンゲリオン」を手掛けたことで有名な監督ですが、かつては宮崎駿のもとでアニメーターとして手腕を振るっていました。
「新世紀エヴァンゲリオン」の初号機が巨神兵に似ているといわれているのも庵野秀明がデザインしたからに他なりません。
さらに言えば、「天空の城ラピュタ」公開より以前に全く同じデザインのロボットが宮崎駿の手掛けた「ルパン三世」に登場しているので、「風の谷のナウシカ」と「天空の城ラピュタ」に特別なつながりを持たせるため巨神兵とロボットのデザインを似せたわけではないでしょう。
しかし「風の谷のナウシカ」と「天空の城ラピュタ」の世界がつながっているとする根拠は他にもあると言われています。
どちらの作品にもキツネリスが登場していることにお気づきでしたでしょうか。
ナウシカの相棒、キツネリスのテトの存在は「風の谷のナウシカ」を見たことがある人なら誰でもご存知でしょうが、「天空の城ラピュタ」の中では廃墟と化したラピュタの庭園を見回るロボットと一緒にキツネリスが姿を見せています。
キツネリスが登場する作品は現時点で「風の谷のナウシカ」と「天空の城ラピュタ」の二作品のみです。
この共通点に特別な意図を感じるのも無理はありません。
キツネリスを根拠に二つの世界がつながっているとする説もありますが、もしこれが事実だとすると「風の谷のナウシカ」は恐らく「天空の城ラピュタ」の遠い未来ということになります。
とはいえ、キツネリス以外に同一世界であるとする確信を持てる描写はなく、単なるファンサービスとしてキツネリスを登場させただけということも大いにあり得ます。
人造人間説は噓?
Nausicaa of the valley of the wind*
ナウシカは 人造人間で、汚染された世界でしか生きられない。腐海が 汚染を浄化している。
ナウシカの世界が今で、腐海は これから私たちが受ける自然からの洗礼? pic.twitter.com/lJVCQKfE2Y— DoNcHY. / コロモちゃん (@donchy23) October 2, 2013
ナウシカたちは「火の七日間」以前の人類=旧人類によって作られた人造人間である、というにわかには信じがたい話が存在しています。
旧人類は「火の七日間」によって汚染された世界を浄化するために腐海を作り、腐海を監視するために蟲たちや人造人間を作ったのだそうです。
数千年かけて浄化が終われば腐海は消えることになっており、腐海がなくなれば蟲も人造人間も生きられなくなり絶滅するように作られていました。
そして旧人類から人間の醜い部分を取り除き、平和を愛するよう作られた新人類が浄化の完了した世界で目覚めるようプログラムされているのです。
映画の中に人造人間説を裏付ける描写が見られないので一見すると根拠のないトンデモ都市伝説のようですが、果たしてこのウワサは事実なのでしょうか。
ナウシカ人造人間説は噓?
結論からいえば、ナウシカ人造人間説は嘘ではなく事実です。
原作漫画のクライマックスで、ナウシカたちも腐海も蟲たちもすべて旧人類によって作り出されたものであることが発覚します。
もしも「天空の城ラピュタ」と世界がつながっているとするとパズーやシータの遠い子孫=旧人類ということになるのですが、彼らの子孫が身勝手な理由で生命を作り出したとは思いたくないものですね。
それにしてもナウシカが愛していた自然そのものが旧人類の都合で作り出された人工物だった、というのは皮肉な話です。
先述の通り、映画「風の谷のナウシカ」の公開当時はまだ漫画は連載中で、こういった設定についてはストーリー上でも全く触れられていない段階でした。
漫画でしか描けないものを描くつもりで連載をはじめたことから考えると、宮崎駿の中ではすでに決まっていた設定である可能性もありますが、連載途中の漫画の核心に迫る部分を先に映画で見せるわけにはいきません。
映画は差し障りなく、わかりやすくストーリーをまとめたもので、見る人を選ばない内容となっているわけです。
映画「風の谷のナウシカ」をきっかけに原作漫画を手に取った人々は、暗く複雑なストーリーに驚いたことでしょう。
かく言う自分も映画を見てから漫画を読みはじめたのですが、子ども心に恐ろしすぎて、当時は完結を目前にして読むのをやめてしまいました。
読者にこびないストーリー展開は、それだけ宮崎駿の譲れないこだわりが詰まった作品であることを表しているのです。
風の谷のナウシカ裏設定って何?
ナウシカの裏設定と呼ばれる「ナウシカ=小人説」「火星舞台説」といった都市伝説について取り上げましたが、公式で裏設定として明かされたものがあります。
それはジブリヒロインの中でもナウシカの胸がとりわけ豊かであることについてです。
ナウシカのバストサイズの話は宮崎駿自身がインタビューで語った公式の裏設定です。
テトを服の中に避難させる映画のワンシーンのナウシカの谷間を見てどきりとした人も少なくはなかったようですが、豊満な胸は単なるお色気要素ではありません。
豊満な胸は「母性」を象徴しており、仲間たちがその腕の中で安心して死ねるよう、抱きとめてあげられる胸元であるべきという宮崎駿の考えによるものなのです。
特に原作においてナウシカの「母性」は、巨神兵オーマの力を利用しながらも、心からわが子のように愛し、受け入れる姿として印象的に表されています。
他のジブリ作品のヒロインにはそこまでの包容力を求められていないことを考えると、ナウシカというヒロインがいかに責任重大な立場にあったかがわかります。
もう一つ、公式に存在するのがナウシカの「やさしさ」についての裏設定です。
多少の違いはありますが映画でも漫画でも、ナウシカは弱者や守るべきものに対してはどこまでも心優しいヒロインです。
しかし、その「やさしさ」は、人の上に立つ身分であるために自分というものを押し殺して作られたものであるということを宮崎駿がナウシカに関する書籍の中で語っています。
ナウシカはまだ16歳です。
原作でナウシカが、人間のネガティブな面を一切許さない新人類のあり方を激しく拒絶したのは、自身が負の感情を抑えつけながらも優しくあろうと取りつくろってきた努力を否定されたように思えたからではないでしょうか。
ナウシカの胸の内にはどんな思いが押し込められていたのでしょう。
16歳の少女が抑圧の中で「やさしさ」を強いられ、本当の気持ちをしまい込んだその胸に人々の死を看取るほどの「母性」を備えていたのだと思うと、ナウシカというキャラクターそのものに何とも言えない恐ろしさを覚えます。
まとめ
ナウシカ
強さと優しさ、激しさと冷静さ、攻撃性と寛容性、母性と父性、完全さと不完全さなど、様々な顔を見せるヒロイン。映画では割と聖女っぽいけど漫画は性格が混沌としていて人間味がある。 pic.twitter.com/oahGgOD8bF— ヒカショウ (@hikashow0823) December 6, 2020
「風の谷のナウシカ」の原作漫画は宮崎駿自身がこだわりを持って描いたものだったので、人によっては怖いと受け取られるような物語になっています。
原作の終盤で明かされる「ナウシカたち=人造人間」という怖い設定が、映画しか見たことのない人にとっては嘘のような話に思えるためか、事実であるにもかかわらず都市伝説扱いされていたようです。
宮崎駿が作品の裏に込めた思いを知ってしまうと、「人造人間説」や「火星舞台説」など、真実と嘘の入り混じる「風の谷のナウシカ」の都市伝説のどれよりも、一見聖女のようなナウシカというヒロインが抱える闇の深さが最も恐ろしいことに気づかされます。