ジブリ都市伝説

都市伝説ジブリ『火垂るの墓』節子の死因の真相がヤバい?千と千尋の神隠しとの関係は?

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ジブリ映画「火垂るの墓」は多くの人のトラウマになるほど強烈なインパクトのある悲劇です。

後味のよい物語とはいえない本作もまた、意味深長に見えるシーンを深読みされて数々の都市伝説が語られています。

栄養失調といわれている節子の死因にはさらに恐ろしい真実が隠されている、同じジブリ映画である「千と千尋の神隠し」にも節子が登場している…などネットを中心にさまざまなウワサが存在しています。

「千と千尋の神隠し」との関係も含めて、「火垂るの墓」の都市伝説について考察していきます。

 

都市伝説ジブリ『火垂るの墓』節子の死因の真相がヤバい?

「火垂るの墓」の都市伝説の中でも多くの人に深く考察されているのが節子の死因についての疑惑です。

清太が盗みを働かなければならないほど食料に困っていたことが物語後半で描かれており、節子は「栄養失調」によって衰弱して死んだといわれています。

しかし、作中にみられる症状から、単純に食糧不足による「栄養失調」と一言で片づけられないのではないかと指摘されています。

そのほかにもネット上では数々の都市伝説がささやかれています。

 

火垂るの墓の都市伝説とは?

「火垂るの墓」の都市伝説としてあげられる主な疑惑をいくつか見ていきましょう。

ポスターに戦闘機の影?火垂る=ふりそそぐ爆弾?

清太と節子が舞い上がる蛍を眺めるポスターの暗闇の中に、戦闘機(爆撃機)が隠されているといわれています。

2018年、このポスターに画像解析を行うと夜空に戦闘機の影が現れることが判明したとTwitterに投稿され、話題となりました。

ポスターそのものをよく見てみると蛍の光に混ざって、戦闘機から投下される爆弾が光として描きこまれていることがわかります。

さらにこの様子から「火垂る(火が垂れる)=ふりそそぐ爆弾」であるとセンセーショナルにウワサされました。

「火垂る」という名称に関しては原作者である野坂昭如も意図していたらしいので、これは事実です。

戦闘機がポスターに描かれていたことも、実は隠す意図はなく印刷時につぶれて見にくくなっただけではないかともいわれています。

 

清太は自殺?

節子の死に絶望した清太は自ら死を選んだのではないかという都市伝説が存在します。

根拠とされているのは、飢えて衰弱した清太がかたわらに置かれたおにぎりを食べなかったシーンがあるからです。

この時清太はすでに目もうつろでやせ細り、おにぎりに手を伸ばす力も残っていなかったという可能性もありますが、可愛がっていた妹の死、父のいた艦隊の壊滅、日本の敗戦と受け入れがたい出来事が次々起こったことは清太を絶望させるには十分だったはずです。

清太が生きることを諦めた=自殺したということもあり得ない話ではありません。

 

節子の死因は栄養失調ではない?

節子の死についてはいろいろな考察がされています。

死の直前までの節子の症状はどのようなものだったでしょう。

・湿疹(背中のあせも?)

・下痢(しばらく続いていた)

・目の痛み(時折目をこする描写がある)

・もうろう状態(死に際、おはじきとドロップを間違えていた)

映画の中で明確にわかる症状はこの四つです。

もうろうについては、衰弱の結果だといえるので、ここでは湿疹、下痢、目の痛みという症状について考えていきます。

 

湿疹

空襲から逃れて西宮のおばさんの家にいった時点で背中に点々と湿疹がみられますが、防空壕で二人暮らしをはじめてからだんだんと症状は悪化していき、最後には背中全体に痛々しく広がっています。

あせもを疑い、清太が節子を海に入れるシーンがありますが、いまいち効果はなかったようです。

 

下痢

「おなかがおかしい」「下痢が続いている」と言いながらも節子が腹痛に苦しんでいる描写はありませんでした。

清太も自己申告を受けてはじめて節子の体調不良を知ったようなリアクションだったので、どうやらほとんど腹痛のない下痢が続いていたと考えられます。

衛生状況の悪い中で下痢が続くとなると真っ先に疑うのは「食中毒」です。

都市伝説で節子の死因にあげられることもある「食中毒」ですが、そのほどんどが下痢と同時に腹痛を伴い、ものによっては発熱、嘔吐など、節子が言い出す以前に清太も異変に気付くような症状がみられます。

腹痛のない下痢という症状から考えられる原因の一つに「ストレス」があげられます。

空襲の恐怖、母の死、おばさんからの仕打ち、新しい生活は不調につながってもおかしくはない「ストレス」です。

これらの事がらは戦時中では珍しくはないことなのかもしれませんが、四歳の節子が強い「ストレス」を感じていたことは間違いないでしょう。

下痢の物質的な原因としては、物語で言及されている通り「栄養失調」、とくに「ミネラル不足」の可能性が高いです。

二人が防空壕で暮らしていた季節は夏です。

背中の湿疹を見てあせもを疑うほど汗をかいて当然の季節ともなれば、食の豊かな現代でさえミネラルが不足しがちになるものです。

ミネラルと聞くと食塩が真っ先に思い浮かぶかと思いますが、ミネラルを食事から補うには実はたんぱく質をとることが大切です。

清太と節子はだんだんと困窮していくほど、塩分そのものが含まれた調味料はもちろん、たんぱく源からも縁遠くなっていったことでしょう。

ミネラルが不足したまま水分だけを取り続けると体内のミネラルの濃度(電解質濃度)を保つため、さらに水分を排泄し脱水症状がおこるという悪循環に陥るのです。

このため節子の下痢は、強い「ストレス」にさらされ続けていたこと、「ミネラル不足」により水分の吸収がうまく行われなかったことという、二つの要因があったのではないかと考えられます。

 

目の痛み

目の痛みも節子自身が訴えているものですが、これは二人の母が致命的な大けがを負った空襲で左目に入った雨によるものです。

この目の痛みについて注目する説がネット上で多く見られます。

先に述べた空襲のとき、重工業地帯が爆撃されたことで発生した「有害物質」を含んだ雨が降っていたのではないかという分析が支持されているのです。

空襲で目に入った「有害物質」によって免疫機能が低下していたとすれば、防空壕に移り住む以前から湿疹がみられていたことも説明がつきます。

「有害物質」の雨が降ったことについて映画の中で確信の持てる描写はありませんが、原作の記述と映画に見られる空襲の様子を照らし合わせて考えるとかなり説得力がある説となっています。

 

節子の死因はなんだったのか

以上から考えると、節子の死因はどれか一つが正しい、というよりも複合的なものだったのではないでしょうか。

清太が節子を医者に連れていくと「栄養失調」と診断されています。

あまりにもあっけない診断だったことや、エネルギー消費が大きいはずの清太より先に節子が衰弱したこと、単なる「栄養失調」では背中の湿疹の説明がつかないことから本当に「栄養失調」だったのか疑問視されてきたのでしょう。

しかし、清太は忍び込んだ先で盗み食いをしているところが描かれているので、度々そうやって何かしらを口にしていた可能性があります。

物語の中の様子から、節子の不調が「栄養失調」によるところは大きいように思われますし、ネット上で支持される「有害物質」による免疫機能の低下があったという仮説も否定できません。

 

節子が死んだのは清太のせい?

ここでよく論点になるのが、節子が死んだのは清太と防空壕で暮らし始めたためか、否か、ということです。

節子の死因が「栄養失調」であるならば、二人がおばさんの家を出て防空壕で生活したことが根本的な原因ということになります。

逆に「有害物質」が死因だとすれば、おばさんの家にとどまっていたとしても節子はいずれ死んでいたということになるのです。

前者だとすると、おばさんの家を出ると判断した清太のせいで節子は死んだといっても過言ではありません。

そもそもおばさんの家に居づらくなった原因も清太にあります。

清太は居候の身分でありながら働きに出ることもせず、家の手伝いもせず、節子と家で過ごしていたことからおばさんに疎まれて、小言を言われ、粗末な食事しか与えられないようになってしまったのです。

こういった描写を引き合いに、「清太のせいでおばさんの家を出る羽目になり、その判断によって節子が死んだ=節子は清太のせいで死んだ」という意見も現在少なくはありません。

清太が働かなった理由を「清太が海軍大尉の息子というボンボン(お坊ちゃん)だったため」とする声もネット上ではよく見かけます。

世間しらずのお坊ちゃんだったから、働きに出ることを拒み、無謀な家出をしたというのです。

しかし、原作を読み解くと、働かない理由は他にあるように思われます。

まず、清太がさも労働自体を嫌がっているかのように語られることがありますが、神戸の空襲以前、清太は神戸製鉄所で働いていました。

当時は学徒勤労動員と称して中学生以上の学生がお国のために働くことを義務付けられていたので、清太も労働力となっていたのです。

軍人の息子である清太に愛国心がないわけがなく、お国のため、ひいては最前線で指揮をとる父のために働くことを嫌がっていたとは考えにくいことです。

ちなみに、当時の日本軍について詳しくないと海軍大尉というのは高みの見物をしている指揮官のように思われがちですが、大尉は最前線の指揮官であり、持ち場は「死」と隣接していました。

海軍であれ、陸軍であれ、戦闘機に乗っていた大尉も少なくはありません。

清太の父親が戦闘機に乗っていたとは原作にも書かれていませんが、大尉という立場がそれだけ実戦力として扱われていた立場だということを踏まえると、父の生還を望む清太は間もなく日本が勝利することを心から祈っていた、信じていたことでしょう。

ではなぜ、父を思い、国を思う清太がおばさんの家では働こうとしなかったのでしょう。

原作の中では、映画では説明されなかった清太とおばさんの関係が詳しく書かれています。

おばさんは「父のいとこの嫁の母」であり、おばさんの娘が父のいとこの嫁としてふさわしい人物であるか調べるため、清太の母は清太を連れておばさんの家の周りを歩き回ったと記述されています。

つまり、清太からするとおばさんは「自分の母に品定めされた女の母親」なのです。

私見ですが、この認識の中に「見下し」があったのではないかと考えています。

おばさんは二人を受け入れるとき、清太たちの持ってきた食料の中に当時貴重だったバターをみつけて、ありがたがりながらも「軍人さんだけぜいたくして」と嫌味を言います。

ここで「母のお許しがあったから親戚の嫁になれた女の家なんかに世話にならなければいけないところを、食料まで持ってきてやったというのに」という横柄な気持ちが少なからず芽生えたのではないでしょうか。

清太は父と日本のそう遠くない勝利を信じていました。

ずっと居座る気などさらさらなかったでしょうし、戦争が終わるまでちょっと厄介になるといった程度の認識だったのです。

自身が働いていた製鉄所は空襲でなくなって仕事を失っていましたし、戦争が終わるまでの間、母がいない分幼い節子の面倒を見てやらねばならないという考えから一日中家にいたものと思われます。

見下しているおばさんからその様子に小言を言われ、そのうえ母の形見の着物まで米に替えておいて清太と節子にはろくに食べさせようとしないとなれば出ていきたくなるのも当然です。

防空壕での生活も一見幼稚で無謀に思えますが、父が帰ってくるまで耐え忍ぶだけのつもりだったとすれば貯金にあまり手を付けないよう行き当たりばったりで暮らしていたことも頷けます。

節子が死んだのが清太せい、とはこの時点では断言はできませんが、清太の判断が節子を重篤な「栄養失調」にしたことは間違いありません。

ただ、居候として肩身が狭くなったのは働きたくなかったからではなく、父と日本の勝利を信じていたから働かないという選択をした、と解釈すべきでしょう。

その選択をするにあたっておばさんへの「見下し」があったと思うと、不幸な結末を手放しに同情はできません。

結局清太が節子を殺したも同然ってことでしょ?

こういった厳しい声があることも当然のように思えます。

しかし、衰弱して朦朧とする節子を目の当たりにしたとき、清太の目から涙が溢れ出していました。

どんなに世間知らずなお坊ちゃんだとしてもここで、妹をここまで弱らせたのは自分の考えの甘さと見込み違いによるものだと、心底思い知らされたでしょう。

おばさんの家を出るという清太の判断は、節子の死の一因です。

清太自身が誰よりも、自分が節子を死なせてしまったと自覚しているからこそ、その後絶望して生きる気力を失ったのではないでしょうか。

何もかもが不足していた世の中で未熟な清太なりに節子と幸せに暮らそうとした結果、二人とも死んでしまったのだと思うと、清太を悪者だとする批判を目にするたび心が痛みます。

 

千と千尋の神隠しとの関係は?

「火垂るの墓」の公開から13年後、ジブリを代表する大ヒット作となった「千と千尋の神隠し」の中にも「火垂るの墓」に関わる都市伝説があります。

カオナシと千尋が電車に乗っている場面に、一瞬節子が登場しているというのです。

「千と千尋の神隠し」も何かと死後の世界との関わりを疑われる作品です。

死んだ節子が姿を現していたとしてもおかしくはない、という考えもあるようですが、この疑惑は本当なのでしょうか。

 

千と千尋の神隠しに節子が登場している?

カオナシと千尋が油屋を抜け出し、水上を走る電車に乗るシーンは「千と千尋の神隠し」の中でも印象的な部分です。

途中通り過ぎる駅に、おかっぱの女の子の影が見られます。

これが「死後、清太を待つ節子の霊ではないか」といわれるものです。

しかし実際のところ、画像を見比べてみるとこの影というのは節子よりもずっと年上の女の子であることがわかります。

明らかに節子より髪も長く、身長も高いです。

個人的には節子よりも「となりのトトロ」に出てくるさつきの友達、みっちゃんの方が似ている気が…(一応断っておきますがみっちゃん死亡説は存在しません)。

さらに、「火垂るの墓」のラストシーンで死後清太と節子は再会を果たしているので、一人待ちぼうけをしているということはないでしょう。

もっと言えば「火垂るの墓」の監督は高畑勲、「千と千尋の神隠し」は宮崎駿です。

宮崎駿の一存で節子を出すことはできませんし、高畑勲がこのような形で節子を登場させることを許すとも思えません。

この疑惑は全くの見当違いといえるでしょう。

 

火垂るの墓は実話をもとにしていた?

ジブリ映画「火垂るの墓」がノンフィクションだという都市伝説は半分正解です。

「火垂るの墓」の原作は作家の野坂昭如が実体験をもとに書いた同名の小説で、野坂は小説「火垂るの墓」で直木賞を受賞しています。

野坂の妹は節子よりはるかに幼く、さらに貧困と飢えで極限状態にあった野坂は非難を覚悟のうえで妹への虐待めいた仕打ちを告白しています。

野坂は後悔の念と「せめて清太はよき兄であってほしい」という願望を込めて小説「火垂るの墓」を書きました。

ジブリ映画「火垂るの墓」はノンフィクションではありませんが、事実を元に作られた物語ということになります。

 

まとめ

「火垂るの墓」は戦時中の日本を舞台に清太と節子の「死」がリアルに描かれていることから、ジブリの中で最も憂鬱になる作品といえます。

子どもの頃に「火垂るの墓」を見て暗い気持ちになったことがある人たちが、さらに悲劇的な憶測をした結果、さまざまな都市伝説が生まれたのかもしれません。

他のジブリ作品の都市伝説と比べて目につくのは、原作の存在や「火垂る」の名称の由来といった公式情報まで都市伝説として語られている点です。

作品の持つシリアスで重たいテーマ性のせいでしょうか。

中には「千と千尋の神隠し」に節子が出てくるという完全なデマもありますが、このウワサをまことしやかなものにしてるのは「千と千尋の神隠し」の持つ不思議な雰囲気です。

ジブリの子供だましではない深い魅力が作品の垣根を超えた都市伝説を生んだのでしょう。

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