1997年の公開直後から大ヒットした「もののけ姫」はジブリにとどまらず日本のアニメ映画の名作の一つに数えられています。
主人公であるアシタカやヒロインのサンはジブリ作品の中でも人気の高いキャラクターですが、背景のような人々でさえ生き生きと描かれていることもこの映画の大きな魅力です。
心に残る作品だからこそ、「もののけ姫」の都市伝説はネットやSNSでいまだに話題に上ります。
アシタカとサンのその後や、宮崎駿が「ハンセン病」をテーマの一つとしたこと、メッセージ性の強い裏設定が存在するといったことが都市伝説としてまことしやかに語られていますす。
二人のその後や、「ハンセン病」というテーマについて映画の裏設定にみられる宮崎駿の意図をくみ取りながら、「もののけ姫」を考察していきます。
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もののけ姫都市伝説その後が怖い?ハンセン病や裏設定って何?
今日は、もののけ姫みた!
ちょっと怖いんだよな〜w
この作品は自然破壊をやめるようにこの世の中に訴えているような作品だと思う。また、アシタカと、サンが心を許せるようになっていくとこがいい!見てみて!#もののけ姫 #映画大好きくん pic.twitter.com/ap27ElT216— 映画大好きくん (@moveidaisuki111) August 8, 2016
「もののけ姫」のアシタカとサンはラストシーンで関係が発展していくことを思わせるやり取りを交わしています。
二人の関係がその後どうなったのか、宮崎駿のコメントからネット上ではさまざまに考察されていますが、どうやら単なるハッピーエンドでは終わらない意図が込められているようです。
いくつものテーマが複雑に絡み合う作品なので、多くの憶測を呼び、いろいろな都市伝説が語られています。
また、タタラ場の一角で石火矢を作っていた人々は「ハンセン病」患者だったといわれています。
エンターテインメント作品として「ハンセン病」を扱うにあたって宮崎駿が作品に込めた思いはどのようなものだったのでしょうか。
宮崎駿自身の言葉から読み解いていきます。
もののけ姫にはその後の話がある?
二人のその後については宮崎駿が「しょっちゅう会ってる」と言及しているので、恐らく特別な関係=恋人同士になったと考えられます。
インタビューの中で宮崎駿は「アシタカは山を切り拓くタタラ場と、森を守るサンとの間で板挟みになって苦労するだろう」という旨を語っていました。
ラストシーンの言葉通り、サンは森で、アシタカはタタラ場で暮らしているようです。
「アシタカは好きだが人間は許せない」とサンが言う場面では、絵コンテに「プロポーズに答えている」と書かれており、映画として描かれていないところでアシタカがサンに思いを伝えていたことがわかります。
アシタカがどんなプロポーズをしたのか気になるところですが、サンの答えが「アシタカは好き」だけど「人間は許せない」というものだったことは意味深です。
ありがちなラブストーリーであればサンのセリフは「人間は許せない」けれど「アシタカは好き」=プロポーズを受け入れるという流れになるはずですが、サンは結局「人間は許せない」=アシタカと同じ世界では生きられないと断言しました。
サンのこのセリフについても宮崎駿はインタビューで触れており「アシタカに刺さったトゲ」と言っています。
ここでいう「トゲ」とは、単に拒絶されて傷ついた言葉ではなく、恐らくサンがひとくくりにした「人間」のあり方そのもののことではないかと思われます。
映画「もののけ姫」がいくつものテーマを取り扱った作品であることは有名ですが、中でも誰が見ても分かりやすいテーマが「環境問題」です。
森を切り拓く人間たちと、未開の自然の中で生きるものたちが相対する構図は「森林破壊」へ疑問を投げかけるものですが、「木を切ることは悪いことだ」という単純な話ではありません。
サンや山犬たちの身になれば、木を切り山を崩していくエボシたちは「悪」そのものですが、生きていくため食べるため製鉄を生業とするエボシたちが木を切ることは「悪」でしょうか。
エボシたちタタラ場の立場というのは現実の我々自身に置き換えられます。
悪意ある自然破壊などごくごく一部に過ぎません。
今では木の代わりに石油が燃料になって、電気を使うにも宅配便を送るのにも二酸化炭素は排出されています。
より良い生活を送るために我々は自然を破壊してしまっているのです。
不便を我慢して電気を使わない自給自足の生活を送ったとしても、木を燃料として使えばエボシたちと一緒です。
どんなにエコを心がけても、自然を破壊せずに、環境を汚染せずに生きていくことは「人間」である以上不可能なのです。
話が大きくなりすぎてるけど…つまりどういうこと?
二人のその後というのは、「人間」と「自然」のその後の関わり方を表しているともいえるのです。
サンの言う「人間」は木を切り、自然を破壊する者たちのことです。
タタラ場で暮らすことにしたアシタカは木を切らないと生きてはいけません。
アシタカは「人間」が木を切ることを止められないけれども別々の世界で暮らしながらも森で暮らすサンと「共に生きよう」と言うのです。
これを宮崎駿は「トゲも一緒に生きていこうと思っている」と言い表しました。
森で生きることを選んだサン=「自然」、森や山を消費しながらも女性や病人まで生き生きとしたタタラ場=「社会」、どちらもアシタカにとっては大切です。
アシタカというのは、苦労しながらも「自然」と「社会」との折り合いをつけて生きていく「人間」なのです。
アシタカとサンのその後とは、単に男女のキャラクターの後日譚というだけでなく、「自然」との共生を目指す「人間」の行く末であることが、その後のアシタカを「これから生きていく人類の姿そのもの」と言い表した宮崎駿の言葉からうかがい知れます。
・サン=「自然」
・タタラ場=「社会」
・エボシたち=「社会」を優先するいままでの「人間」の姿
・アシタカ=「自然」との共生を目指すこれからの「人間」の姿
「環境問題」というテーマを踏まえるとアシタカとサンの関係は「その後二人は仲むつまじく暮らしました、めでたしめでたし。」では終わらない、現実の我々にとっても他人事ではない物語なのです。
映画公開から20年以上が経ちました。
「これからを生きていく人類」である我々はアシタカとサンのその後のような、よい関係を「自然」と築けているでしょうか。
もののけ姫の都市伝説
ジブリ作品の中でも多くのテーマを扱う「もののけ姫」の都市伝説にはどういったものがあるのでしょうか。
さまざまある都市伝説の中でも興味深かったものをご紹介します。
・サンは生贄?はんぱ者の「もののけ」姫
・アシタカの許嫁カヤとサンの意外なつながり
・「千と千尋の神隠し」の千尋はサンの子孫?
サンは生贄?はんぱ者の「もののけ」姫
サンの育ての親である山犬モロは作中で、サンは森でモロと出くわした人間がわが身可愛さに投げてよこした赤子だったと言っていました。
映画の中にはサンが「生贄」だったことを思わせる部分は他にありません。
このセリフを耳にしただけでは、命乞いとして幼いサンで気を引いているうちに親が逃げようとしたと考えるのが一般的かと思います。
では「サンは生贄だった」とする説はどこから出てきたのでしょうか。
調べたところによると、「荒ぶる山の神(=モロ)へささげられた生贄がサンである」とする論文がWikipediaで引用されている項目があり、それを元に「サンは生贄だった」という都市伝説が語られているようです。
「サンは生贄だった」とする論文の中では、神を鎮めるための生贄だったサンが山の神に対抗するエボシの出現によって役目を失い、神でも人間でもないはんぱ者=「もののけ」となった、という「もののけ姫」のタイトルの由来に考察をつなげています。
単なる命乞いではなく、目の前に現れた荒ぶる神への畏怖からサンをささげたのだとしても、モロにとってはサンを「哀れ」に思うような薄情な行為と受け止められてしまったのは皮肉なことです。
アシタカの許嫁カヤとサンの意外なつながり
冒頭でタタリ神に襲われ、救ってくれたアシタカが村を出ていく際に小刀を渡して見送った少女カヤはアシタカの許嫁という裏設定があります。
アシタカがカヤからもらった小刀をサンに贈ったことは度々問題視されていますが、二度と村には戻らないつもりだったことを考えると、「浮気性」「最低」「幻滅した」とまで言われるのはあんまりでは…と個人的には思ってしまいます。
ネット上でも「カヤへの思いを断ち切るつもりで手放したのでは」「生死をかけた戦いを前にして、大切なものだからこそサンに持っていてほしかったのでは」といった擁護する声も見られました。
さて、そのカヤとサン、実は同じ人が声をあてていたことにお気づきだったでしょうか。
アシタカを健気に慕うカヤの声も、素直で勇ましいサンの声も、どちらも石田ゆり子が演じています。
カヤを大切に思っていたアシタカがサンに心惹かれたのは偶然ではなかったということでしょう。
二人を演じた石田ゆり子もアシタカが小刀をサンに渡してしまうことには疑問を感じたようで、宮崎駿に直接物申したそうですが「男なんてそんなもん」と言って取り合ってもらえなかったそうです。
「千と千尋の神隠し」の千尋はサンの子孫?ハクはアシタカの祖先?
「千と千尋の神隠し」と「もののけ姫」、一見すると何のつながりもないように思われますが、何故「千尋はサンの子孫」というウワサが存在するのでしょうか。
都市伝説に関わらず、「千と千尋の神隠し」の中で千尋が魔女の湯婆婆に名前を奪われるときに自分の名前を書き間違えていたことはよく指摘されています。
「千尋はサンの子孫」であるという根拠にされているのはこの場面で千尋が「荻」の「火」を「犬」と書いていたという点です。
「犬」という字が山犬を連想させることから、千尋とサンのつながりを暗示しているのではないかと言われています。
一文字の書き間違いだけでは「千尋はサンの子孫」とするには説得力に欠けますが、ガセだとは言い切れないつながりを感じさせる話もあります。
ハク=ニギハヤミ・コハクヌシの由来ではないかとされる「ニギハヤヒ」が、アシタカの由来ではないかとされる「ナガスネヒコ」の祖先にあたることに注目する考察もネット上で見受けられました。
「古事記」や「日本書紀」において「ニギハヤヒ」は東征するカムヤマトイワレビコ(後の神武天皇)の前に立ちはだかった人物です
「ナガスネヒコ」は「ニギハヤヒ」こそ世の中を治めるのにふさわしいと信じてカムヤマトイワレビコと戦いましたが、カムヤマトイワレビコこそふさわしいと認めた「ニギハヤヒ」自身に殺されてしまった人物です。
「ナガスネヒコ」はアシタカ同様、弓の名手で東の国の強者として描かれており、加えて「長いスネ」=「足が高い」という名前の類似からもアシタカの由来であるとされています。
ハクは川の神様なので、アシタカが生まれる以前、神々が自然を支配していた時代から存在していたことも否定できないので、ハクがアシタカの祖先だった可能性もゼロではありません。
ハクがアシタカの祖先だったとして、千尋がサンの子孫だとは言い切れません。
しかし、もしサンに子孫がいるとすれば、アシタカの子孫でもあってほしいところです。
そして「千尋がサンの子孫」だとすると、ハク→アシタカ・サン→千尋という形で脈々としたつながりが出来上がることになります。
千尋がハクと出会ったのは偶然ではなく、運命だったのかもしれないと思わせる話ですね。
ハンセン病や裏設定って何?
ハンセン病、その病気をモチーフとした描写がある物語を、皆さん一度は目にしているはず。気付いていないだけで。もののけ姫です。子供の頃は何なのか分からなかったですけど。知るきっかけは意外と身近にあったりする。 https://t.co/EAUQuTIL1g pic.twitter.com/9jPNnUNBd7
— 体幹軟弱.com (@hanadair00323) May 8, 2020
タタラ場の奥にあるエボシの「秘密の庭」の小屋の中では、包帯を巻いた人々が石火矢を作っていました。
彼らは「ハンセン病」を患っていたのではないかといわれています。
いまだに差別の爪痕が残る「ハンセン病」をテーマとして取り扱った経緯はどのようなものだったのでしょうか。
「ハンセン病」だけにとどまらない「差別」や「社会的弱者」という問題に対する宮崎駿の思いが作品の裏側に隠されています。
こういった作品の真意を人々はどのように受け止めたのかも紹介していきます。
ハンセン病や裏設定って何?
「もののけ姫」を製作するにあたって武士や農民しか出てこない一般的な時代劇では描かれないけれども実際の歴史の中で間違いなく存在していた人々を描かなければならないと思った、と宮崎駿は講演の中で語りました。
そもそもハンセン病って?
「ハンセン病」については現在義務教育の中で必ず習っているはずですが、その際に「もののけ姫」を教材としている学校もあるといいます。
「正直よく知らない」「詳しくわからない」という人のために「ハンセン病」とその「差別」ついて簡潔に説明していきます。
「ハンセン病」は「らい菌」が原因となって皮膚や末梢神経(=脳や脊髄といった中枢神経と体の末端とをつなぐ神経のこと)に様々な症状を引き起こす病気です。
日本で「ハンセン病」というと脱毛や感覚の鈍化(=神経がおかされて痛みを感じにくくなる)といった症状がおもに挙げられます。
進行していくと末梢神経がおかされることによって身体に変形が見られたり、感覚の鈍化によって負った傷が原因で手足を失うこともあることから、かつては「体が溶ける病気」など間違った知識が教育現場でさえ当然のように語られていました(自分自身、子供の頃実際に学校でそう習った一人でもあります)。
「らい菌」は感染力が非常に低く、免疫機能が正常であればほとんどの人が感染しない、もしくは感染しても発症しない病気ですが、上記のような外見の変容から恐れられ、「ハンセン病」は過度に恐れる必要のない感染症であるとわかってからも差別が根強く残りました。
「ハンセン病」と思しき病気の記述は日本では奈良時代の「日本書紀」からみられます。
昔は、天罰による病=「天刑病」や、前世の悪行による病=「業病」とも呼ばれ、「ハンセン病」は「悪」であり、患者は人間ではないとされてきました。
戦前には強制隔離政策を行い、遺伝性がないと判明していたにもかかわらず避妊や堕胎手術を強要する法案を施行するなど、国が率先して差別を助長する結果となりました。
国民に刷り込まれた「ハンセン病」に対する差別意識は戦後にも引き継がれていきます。
「ハンセン病」患者の人権を無視した強制隔離の規定がある「らい予防法」が廃止されたのは、驚くべきことに「らい菌」の感染力を失わせる薬が発見されてから25年が経った1996年、「もののけ姫」公開のたった一年前のことでした。
宮崎駿と「ハンセン病」
1941年生まれの宮崎駿は「ハンセン病」に対する差別と偏見をその目で見てきたはずです。
宮崎駿自身「ハンセン病」への偏った差別意識があったわけではありませんが、多摩に引っ越した際に近所の「ハンセン病」の療養所「多摩全生園」の存在を知りながらも、「ハンセン病」というものに向き合うことをためらっていたことを打ち明けています。
宮崎駿は「もののけ姫」製作の最中にはじめて「多摩全生園」を訪れ、「ハンセン病」の事実と向き合い圧倒されました。
「全生園に行けば人生観が変わる」と宮崎駿がスタッフたちに話していたことから、宮崎駿にとってどれだけ印象深い出来事であったかがわかります。
資料館で目の当たりにした「ハンセン病」患者たちの生きた証拠や、元患者との交流の中で、「ハンセン病」を患い差別を受けながら生きてきた人々について「おろそかにしてはいけない」と固く決意したそうです。
弱者の気持ちを知るエボシ
タタラ場でタタラを踏む女性たちはみんな明るくたくましく、「弱者」という表現には違和感を覚える人もいるでしょう。
しかし彼女たちのほとんどは売り物にされていたところをエボシに買い取ってもらい居場所を得たのだと作中で自らアシタカに語っています。
戦が広がって殺伐としていた時代、戦力にならない女性は戦に巻き込まれると暴力による支配を受け入れるしかない「弱者」でした。
「もののけ姫」の製作秘話の中で、エボシもまたかつては身売りされた女性の一人だったという裏設定が明かされています。
売りに出されたエボシは倭寇(=当時大陸との間で海賊や密貿易をしていた人々)の頭目に買われましたが、その後に組織を掌握し、頭目を殺して組織の財産と共に明の最新兵器の技術を日本に持ち帰ったのだそうです。
持ち帰った財産を元手に石火矢を生産する体制を一から作り上げるときに、エボシが労働力として着目したのが女性と、病によって差別されてきた人々でした。
自身の辛い経験があるからこそエボシは売られていた女性や病人=「弱者」にも分け隔てなく接することができるのです。
一見すると平等で優しいリーダーであるように見えますが、目的を成し遂げるためには犠牲を出すこともいとわないところは冷酷に映ります。
合理主義者であるエボシを宮崎駿は「革命家」「現代人」と言い表しました。
エボシが作ったタタラ場は資源を消費する「現代社会」そのものといえます。
繰り返しになりますが、タタラ場=「社会」、サン=「自然」、アシタカは「自然」と「社会」の共生を望む「人間」です。
個人的解釈では、この映画の未来の展望が明るく思える部分は、アシタカがサンと「共に生きる」ことを誓うシーンではなく、最後にエボシがアシタカを村に受け入れるという点であると思われます。
個人がどんなに一人で努力しても「自然」と共生する「社会」を作ることはできません。
リーダーが「自然」と共生できる指針を示し、人々がそれに従うことではじめて「社会」が変わり始めるのです。
アシタカから「森と人が共に生きる道はないのか」と問われていたエボシが、片腕を失い、タタラ場を失い、一からやり直すにあたって、「自然」との共生を望むアシタカを「誰か迎えにいってくれ」と言う場面こそ、新しく建て直すタタラ場=新しい「社会」が「自然」との共生に前向きなものになることを表しています。
宮崎駿が描きたかったものって?
「もののけ姫」の中で「ハンセン病」と思しき人々がタタラ場の一角で彼らなりの日常を送る姿は、「差別」を批判するために悲劇的に脚色したものではなく、「彼らも人間として当たり前に生きている」ことを肯定するものでした。
彼らの暮らす庭にはエボシ以外はほとんどが恐れて近寄らないと言っていることから、タタラ場の中でも「差別」自体は存在していたことがわかります。
女性たちもタタラを踏む役割を担いながらも、男性たちから対等とは思われていなかったことがわかるやり取りが見られます。
エボシの作ったタタラ場という「社会」も平等ではありませんでした。
しかし、男手が出払っているところへ攻めてきた侍たちに対して籠城するとなった際、タタラを踏む女性たちと「ハンセン病」と思しき人々は協力してタタラ場を守ろうとしました。
優位だった男性のいないタタラ場=「弱者」しかいない「社会」で、外部からの脅威に立ち向かうことになったとき、人々は「差別」を乗り越えて団結することができたのです。
大きな問題を前にして「差別」という壁にこだわることはとても愚かです。
宮崎駿は「ハンセン病」と思しき人々や「弱者」だった女性の生き様を描くことで作品の中に、「差別されてきた人々も同じ命である」、「団結して取り組むべき問題がたくさんあるのに、差別というつまらないことにこだわるべきではない」という強いメッセージを込めたのではないでしょうか。
「差別」しないということは違いを認めた上で受け入れることです。
最期にエボシが考え方の違うアシタカを受け入れ、よりよい「社会」を一から作ろうと言うシーンは、「差別」問題についてもタタラ場によい変化が訪れることを期待させる締め方だったといえます。
ツイッターの声は?
2020年に映画館で再び上映されていた影響で「もののけ姫」をTwitterで話題として取り上げている人はたくさんいました。
以前は「ハンセン病」や「差別」というテーマを取り扱っていることに驚いたといったものや、「もののけ姫」をきっかけに「ハンセン病」を調べたという声が多くみられましたが、コロナウイルスが流行して以降はコロナ感染者への「差別」と重ね見る人が多いようです。
どちらも科学的根拠のない情報に振り回されて相手を過剰に避ける、嫌悪する、さらには攻撃するといった「差別」が行われている点で同じです。
「ハンセン病の差別問題から何も学んでいない」とコロナ差別の横行する現状を悲観するツイートの中で「もののけ姫」に触れている人がいる一方で、「コロナ禍の今だからこそ知ってほしい」と「もののけ姫」に込められた宮崎駿の「ハンセン病」への思いを紹介する人もいました。
「もののけ姫」公開から20年以上が経った今、公開当時の思惑を越え、直面する現実問題として「差別」を考えさせる作品になりつつあることは間違いないようです。
まとめ
もののけ姫、劇場で観た。差別が未だ残る現代だからこそ深く刺さる。
女性に強くあることを説き、ハンセン病の人と分け隔てなく交流するエボシ。
蝦夷として差別されてきたが、サン・タタラ場と共生を望むアシタカ。「生きろ、そなたは美しい」はすべての多様性、個人を認めるメッセージなんだ。 pic.twitter.com/O65sv0djAy— 村田泰祐@芸能事務所 (@Murata_Taisuke) July 4, 2020
今回は「もののけ姫」の都市伝説や裏設定について考察しましたが、いかがだったでしょうか。
アシタカとサンのその後については、「環境問題」のバトンを観客に手渡す形で現実世界の我々に疑問を投げかけるものだと考えられます。
また、「ハンセン病」と思しき人々や社会的弱者だった女性たちの生き様を描くことで「差別問題」にも切り込み、宮崎駿は彼らを「おろそかにしない」という誓いを果たしています。
読み解いていくと、「もののけ姫」の都市伝説として語られているアシタカとサンのその後や「ハンセン病」というテーマや裏設定には宮崎駿の強い思いが込められていることがわかりました。