魔法使いの美青年ハウルと、呪いで老婆に変えられた少女ソフィーの純愛という他にはない物語が、登場人物たちの思惑や戦争といった要素によって複雑に展開される「ハウルと動く城」は難解な内容が見る人を選ぶため、ジブリの中でも賛否の分かれる作品となりました。
映画ではハッピーエンドを迎える二人のその後や、ソフィーに呪いをかけた「荒地の魔女」、キーアイテムとして登場する魔法の指輪については都市伝説としてネットでさまざに語られています。
今回調べて見ると、もう一度見返したくなるような裏設定があちこちに隠されていることがわかりました。
二人のその後や「荒地の魔女」の真実、指輪の意味といった「ハウルの動く城」の都市伝説といわれるものを考察しながら、監督宮崎駿によって作品に込められた思いや隠された裏設定についてひも解いていきましょう。
ハウルの動く城 その後の話や裏設定がある?荒地の魔女や指輪の都市伝説が知りたい!
原作ではハウルとソフィーは死んでしまうらしい。
2人は一緒に天国へいく、という描写が原作にはあるそうだ。
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— アニメの噂 (@animeno_) April 30, 2019
「ハウルの動く城」のハウルとソフィーのその後を知ることができる本があることをご存知ですか。
映画では作中のラスボス的存在の登場人物にまで「ハッピーエンド」と言わしめるほど幸せな結末を迎えます。
彼らのその後はどうなったのでしょうか。
また、複雑でこだわりが詰まった映画「ハウルの動く城」にはどのような裏設定があるのでしょうか。
絵コンテに書かれた言葉や作中の描写から、ソフィーというヒロインに込められた思惑を中心に深く考察しました。
後半では「荒地の魔女」と指輪の都市伝説についても触れていきます。
ハウルの動く城には、 その後の話(続編)がある?
「ハウルと動く城」には原作小説があります。
ダイアナ・ウィン・ジョーンズが書いた「魔法使いハウルと火の悪魔」というイギリスの児童文学です。
これはシリーズ第1巻にあたるもので、ジブリ映画がきっかけとなり後に「ハウルと動く城シリーズ」と名付けられました。
シリーズ第2巻「アブダラと空飛ぶ絨毯」、第3巻「チャーメインと魔法の家」にハウルとソフィーのその後が描かれています。
第2巻以降、ハウルもソフィーも主要人物ではないのですが、結婚して子供を身ごもっているソフィーが出てきたり、その後生まれた子供と暮らしている様子を垣間見ることができたりと、ハウルとソフィーのファンにとっては嬉しい話が出てきます。
一時期「原作では最後にハウルとソフィーは死んでしまう」という都市伝説がネットで語られていたようですが、上記の通りシリーズ続編にその後の彼らが登場しているのでこれは全くのデマであることがわかります。
ハウルの動く城の裏設定とは?
「ハウルの動く城」の監督を務めた宮崎駿は、原作者から作品への理解度を称賛されています。
宮崎駿は裏設定や隠れたテーマを作品に持たせることで有名なので、「ハウルの動く城」がジブリ作品の中でも特に難解といわれているからこそ余計に、ひそかに込められたものがあるのではないかとジブリファンは考えているようです。
確かに宮崎駿はインタビューの中で「ハウルと動く城」を「ほんとに骨の髄まで考えた末の作品」と述べています。
物語に隠された宮崎駿の思惑はどのようなものがあるのでしょうか。
絵コンテの書き込みに見られる裏設定
絵コンテの書き込みを根拠に「ハウルの動く城」の裏設定といわれているものを三つだけピックアップしました。
・ハウルのネバネバ=セロリのソース⁉
・悪魔を自殺に追い込むサリマンの魔法
・ソフィーは最初ヒロインじゃなかった⁉
ハウルのネバネバ=セロリのソース⁉
ソフィーが風呂場を掃除したせいで髪の色が変わってしまったハウルは絶望して皮膚からネバネバした緑の液体を出したシーンはなかなか衝撃的なものでした。
作中では「闇の精霊」を呼び出しているということだけがハウルの弟子の少年マルクルの言葉によってわかります。
緑の液体も「闇の精霊」に関連したことなのかと思わせるシーンですが、絵コンテの中に「セロリのソース」と書かれた一文があるのです。
このことからネバネバ=「セロリのソース」という裏設定があるとされています。
セロリを食べるシーンなどは出てこないので、キャラクターたちに関わる理由ではなく、単に色味や質感などのイメージを伝えるために「セロリのソース」という表現をしたのではないでしょうか。
「セロリのソース」をイメージして描かれただけあって、どことなく青臭そうな色味をしていますね。
悪魔を自殺に追い込むサリマンの魔法
ハウルが師匠サリマンに追い詰められた際、輝く頭の小人=星の子たちが輪を作ってハウルとソフィーの周りを取り囲んでいました。
そのとき、不思議なメロディーに乗せて何やら歌声も聞こえてきます。
映画を見ている最中はBGM程度の認識なので何を言っているのかなど気にも留めない人も多いでしょう。
調べて見ると、このシーンでも絵コンテに書き込みがみられます。
星の子の横にセリフのように書かれていたのが「死にたいのに」と死を促すような歌詞でした。
サリマンはハウルを殺そうとしてたの?
サリマンはハウルを殺そうとしていたわけではありません。
ハウルの「心」は契約によって悪魔カルシファーのものとなっていますが、もともとこのカルシファーは夜空から降ってきた星の子の一人でした。
星の子は地面に落ちた途端に死んでしまうのですが、運よくハウルの手の中に落ちてきた星の子がハウルと契約を交わし悪魔カルシファーが生まれたのです。
サリマンの魔法はカルシファー=星の子に死を促すことで自らハウルの中から出ていかせようとするものでした。
悪魔との契約を長く続けているといずれ怪物になってしまうということは作中にも語られているので、サリマンはハウルを救うため悪魔祓いをしようとしたのですが、ソフィーがハウルを信じて「悪魔とのことは自分で何とかするから大丈夫」と言い切ったのに対し、サリマンは淡々と愛弟子ハウルから魔力を奪い取ろうとしていました。
直前に「荒地の魔女」から魔力をすべて取り上げた様子からもわかる通り、この場面ではサリマンの冷酷さが際立ちます。
王宮に勤める魔法使いのサリマンは「権力」を象徴するようなキャラクターです。
宮崎駿がわざわざ原作でほとんど描写されない「戦争」を強調して物語に取り入れたことは「ハウルの動く城」の裏設定として有名です。
これについては宮崎駿が「戦火の恋」を描きたかったから、とプロデューサーの鈴木敏夫が語っていますが、「戦争」を取り扱ったのはそれだけが理由ではありません。
宮崎駿が映画製作中に勃発したイラク戦争の影響を大きく受けたことも鈴木敏夫が別のインタビューの中でも触れていることから、多くの考察で「ハウルの動く城は反戦をテーマにしている」と指摘されています。
「ハウルの動く城」に反戦映画という意味合いもあるのだとすると、サリマンを冷酷に描くことで戦時下の「権力」の恐ろしさを表したかったのではないでしょうか。
ソフィーは最初ヒロインじゃなかった⁉
これは「ヒロインはもともとソフィーではなかった」ということではなく、「ソフィーは途中までヒロインではなかった」ということです。
「ハウルの動く城」は冒頭からソフィーに寄り添った目線で物語が進んでいくので、当然ヒロインはソフィーだと誰もが思っています。
しかしクライマックスに差し掛かったところ、カルシファーがソフィーの髪を食べるシーンで「ヒロインようやく登場」と絵コンテに書き込まれていました。
確かにこれ以降ソフィーの容姿も凛々しくなり、行動も宮崎駿が描くヒロインらしくなったように感じられます。
書き込み以前のソフィーが一体どういう存在だったのか、絵コンテの書き込みには明記されていませんが、物語の中で変化するソフィーを見ていくと宮崎駿の意図を推測することができるはずです。
登場したばかりのときのソフィーは自信がなくどこか卑屈です。
原作ではソフィーのネガティブな性格は「長女」であることが原因で作り上げられたと書かれています。
おとぎ話には「成功する末っ子の物語(=末子成功譚)」というものがあります。
兄弟の長男、次男(あるいは姉妹の長女、次女)の失敗が語られた後、末っ子が成功して幸せになる、というテンプレート展開です。
こういったひな型に自分を当てはめて卑屈な性格になってしまったというのが原作のソフィーです。
映画ではレティ―という妹が登場するだけで他に妹がいる描写はありませんが、実は原作ではもう一人マーサという妹がいます。
三人姉妹の長女である原作のソフィーには「末子成功譚」が当てはまるので、彼女にとっては「長女失敗譚」としてコンプレックスになっているのです。
映画で宮崎駿がマーサを登場させなかったのは単に時間が限られていたからというだけではない、というのが個人的な見解です。
レティ―に会いに行ったソフィーが本当にこのまま帽子屋を継ぐのかとレティ―に聞かれたときに「あたし長女だから」と諦めを口にするシーンがあります。
この「長女だから」は原作通り「どーせ長女だから何やったって失敗するに決まってるし」という意味でしょうか。
映画のセリフに込められているのは「長女だから責任があるし仕方ないし他にやりたいこともないし」という現実的な「諦め」と「逃げ」がニュアンスに込められているように思えました。
宮崎駿が「末子成功譚」を理解していなければ共感できないコンプレックスをそのままキャラクター設定に採用するとは思えなかったからです。
「ハウルの動く城」の製作された2000年代前半、就職氷河期だった日本ではソフィーと同じ18歳の若者たちの多くが、仕方なく妥協してとりあえず内定をくれた職場への就職を決めたり、モラトリアム(社会的責任を負うまでの猶予期間)として大学進学を選んだりしていました。
時代の流れに逆らって「やりたいこと」を貫こうとすれば苦しい思いをすることが目に見えていた当時の若者たちにとっては「諦め」と「逃げ」が当たり前でした。
つまり初期のソフィーは自分に自信が持てないネガティブな少女であり、「現状にあらがうほどの熱意のない」当時の若者そのものであるといえます。
「荒地の魔女」の呪いで90歳のおばあちゃんになってしまったことをきっかけにソフィーが少しずつ成長していき、ハウルを狙うサリマンや迫りくる戦火=厳しい現状にあらがってでも貫き通したい「愛」を見つけたことでヒロインとして完成する物語が映画「ハウルの動く城」なのです。
宮崎駿はあえてソフィーを三人姉妹の長女ではなくし、ネガティブになった理由を共感できるものにすることで、熱意を失くし立ち止まってしまった若者たちに向けた物語という側面を持たせたのかもしれません。
荒地の魔女や指輪の都市伝説が知りたい!
世界ではハウルとその声の主についてバズってるみたいだけど、私的には美輪明宏さんが荒地の魔女にそっくりな事の方がもっと騒がれてもいいと思う(笑)
ほらだって、美輪さん、、、
魔法使えそうじゃない?? pic.twitter.com/JK0y1lGWnn— ⭐みゆきんぐ⭐ (@brpwyg0909) May 22, 2020
「ハウルの動く城」の中で最も派手な立ち回りを見せるサブキャラクターは間違いなく「荒地の魔女」でしょう。
ハウルを追い回し、ソフィーに呪いをかけ、最終局面でカルシファーにとびかかるという役どころは彼女なくして「ハウルの動く城」という物語は成り立たないと言っても過言ではない存在感です。
また、初登場シーンからハウルの指に輝く指輪には深い意味があったといわれています。
「荒地の魔女」にまつわるウワサと、指輪の意味について順番に見ていきましょう。
荒地の魔女の都市伝説
「荒地の魔女」は美輪明宏の演技も相まって「ハウルの動く城」を読み解くうえでも楽しむうえでも欠かせないサブキャラクターとなっています。
そんな「荒地の魔女」にまつわる都市伝説にはどのようなものがあるのでしょうか。
・声優は美輪明宏!「私こんなデブですか?」
・原作では最後まで悪役ってホント?
・ハウルとの関係と「星をかった日」
声優は美輪明宏!「私こんなデブですか?」
「荒地の魔女」の声優を務めた美輪明宏には実は宮崎駿直々にオファーがあったのだといいます。
「荒地の魔女」のキャラクターデザインを何度描き直しても美輪さんになってしまうのでお願いしたい、と依頼されたそうです。
魔力を奪い取られる前の姿の青いアイシャドーの目元や微笑む口元は確かに美輪明宏に似ていますが、かなり大柄で二重あごという風貌は美輪明宏としては少々納得がいかなかったようです。
実際にキャラクターを見て思わず「私こんなデブですか?」と言ったそうですが、宮崎駿はニヤリとしただけだったとか。
とはいえ宮崎駿の描く、ずる賢くて自己中心的でありながらどこか憎めない「荒地の魔女」は、不思議な魅力と説得力のある美輪明宏にしか演じられないキャラクターであったといえます。
原作では最後まで悪役ってホント?
映画では敵としても味方としても物語を終始動かし続ける「荒地の魔女」ですが、原作では最初から最後まで悪役として登場します。
しかも原作の描写によるとかなりの美女のようですが、若さと美しさへの執着の異常性は映画の「荒地の魔女」以上に不気味に描かれています。
原作の意図としては「悪魔と契約したものの末路」を象徴する位置づけであり、「悪」そのものをわかりやすくしたようなキャラクターです。
明言はされていませんが、宮崎駿は説明的な描写や、はっきり分かれた善悪を嫌がる傾向があります。
絶対的な悪であり、「悪魔と契約したものの末路」を説明するキャラクターに納得がいかなかったため、宮崎駿なりの解釈の中で善悪入り混じる複雑なキャラクターになったと考えられます。
ハウルとの関係と「星をかった日」
ハウルは自ら興味を持って「荒地の魔女」に近づいたものの「恐ろしい人」だとわかって彼女から逃げ出したため追われるようになったとソフィーに語っています。
ハウルと「荒地の魔女」は一時的にも近しい関係だったことは間違いありません。
三鷹の森ジブリ美術館で公開されている「星をかった日」というショートフィルムに関する対談の中で、彼らの関係についてプロデューサーの鈴木敏夫はかつて恋仲(しかも肉体関係)にあったと語っていました。
「星をかった日」という作品は少年時代のハウルと若かりし頃の「荒地の魔女」の物語なのですが、作中に出てくる「荒地の魔女」と思しき女性=ニーニャはとても美しい女性です。
魔女として契約した悪魔にむしばまれた結果、「ハウルの動く城」に登場したような姿になったのだと思うと悪魔との契約の闇の深さにはぞっとさせられます。
「荒地の魔女」はハウルと一時的にとはいえ恋人同士だったからこそ、離れていくハウルを追い回し、ハウルと一緒にいるのを見かけた女=ソフィーに呪いをかけたのです。
呪いをかけた理由についてネット上では「嫉妬」を真っ先にあげる意見が多くみられました。
しかし「荒地の魔女」はソフィーの全てを「安っぽい」と鼻で笑っていたので、ソフィーを妬む気持ち以上にハウルを自分だけのものにしておきたいという「独占欲」こそ呪いをかけた最大の理由ではないでしょうか。
ハウルの心臓=心を手に入れることにこだわり、魔力を奪われてぼんやりしたおばあちゃんになってからも「サリマンなんかにハウルは渡さない」と言ってみたり、カルシファーの中にハウルの心臓を見つけて手に入れてから炎に焼かれても手放さなかったことからも「荒地の魔女」のハウルに対する執着と「独占欲」の凄まじさがよくわかります。
もしかしたらソフィー以外にも呪いの餌食になった女性がいたかもしれませんね。
指輪の都市伝説
ハウルがお守りとしてソフィーに渡した指輪は強く思い描いた相手の元へ導いてくれる魔法の指輪でした。
物語のクライマックスでは壊れた城のドアを通じてソフィーを過去へと導き、ハウルとカルシファーの契約の瞬間に引き合わせたのもこの指輪です。
指輪が壊れて現代に引き戻されるときにソフィーがハウルとカルシファーに「未来で待ってて」と呼びかけました。
このセリフが実はハウルとソフィーの出会いのシーンにつながるのです。
初登場の場面でハウルは二人の軍人に声をかけられて戸惑っているソフィーの肩に手を置いて「やあやあごめんごめん探したよ」と言います。
このときハウルが肩に置いた手の指輪がきらりと輝いていることにお気づきでしたか。
思い描いた相手の元へと導く指輪が、ソフィーにたどり着いて輝いたのです。
つまり、少年時代ソフィーに「未来で待ってて」と言われてからハウルはソフィーのことをずっと探していたのでした。
ソフィー自身も過去へ行ったことでようやくハウルの「探したよ」の真意を理解し、ドアの外で待っていたハウルに「ずっと待っててくれたのに…」と自分の「ぐず」さを謝ります。
もう一度見返したくなる素晴らしい仕掛けであり、「ハウルの動く城」を語るうえでは欠かせない場面ですが、展開が複雑で難しく観客の集中力が続かなかったせいか、ドアの外で長らく待たせたことを謝っているようにも聞こえるため、冒頭のシーンにつなげられない人も少なくはありません(自分も一回目では気づかなかった派です…)。
このため堂々と作中にみられる秀逸な部分でありながら、都市伝説というジャンルで広く知れ渡っています。
まとめ
今さらハウル見てるけど
小さい頃よくわからなかったけど
今みると深いねぇ~~。 pic.twitter.com/0bCgTwxxWu— アスラン (@Athrun0083) June 30, 2018
宮崎駿が「骨の髄まで考えた」という「ハウルの動く城」は時代に影響を受けた裏設定が多く、わかりにくくて難しい作品になってしまいました。
「荒地の魔女」やソフィーといった主要人物に関する裏設定や隠れたテーマなどを関係者のインタビューや絵コンテから知ることはできますが、映画を一度見ただけは理解できないような部分も少なくはありません。
この難解さが都市伝説を生んだようです。
特に指輪に関するセリフの意味について気づかなかった人もいたため、都市伝説として扱われていました。
とても美しい伏線になっているので、映画を見返す際はぜひ指輪に注目してみてください。
原作の「荒地の魔女」は完全な悪役として登場していましたが、映画では物語を動かす重要な役割を持ち、ハウルとの過去を描いたという裏設定のショートフィルムが製作されていることからも単なるサブキャラクターとは一線を画す存在であることがうかがえます。
「ハウルの動く城」の原作には続編があり、ハウルとソフィーのその後をサイドストーリーとして見ることができるので、二人のその後が気になる方は読んでみることをお勧めします。