一人前の魔女を目指す少女キキの成長を描いた「魔女の宅急便」は、誰もがキキを応援したくなるハートフルストーリーとして親しまれているジブリ作品の一つです。
どこにも怖い要素など見つけられないような「魔女の宅急便」にも、裏に隠されたテーマがあるというウワサや怖い都市伝説が存在しています。
キキの相棒黒猫のジジが物語の途中で話せなくなってしまうのですが、作中では明確にされないその理由について考察する人も少なくはありません。
ジジが話せなくなったのは何故なのか、作品の裏にいったいどういったテーマがあるのか、もっともらしく語られている都市伝説について調べた結果をまとめました。
Contents
『魔女の宅急便』 都市伝説が怖い!?裏テーマやジジの謎って何?
これがキキがジジと交わした最後の「会話」なんですよね……
実はここまでのジジとの会話も、まだ子どもだったキキが「ジジと会話出来てると思い込んでいた」だけだと、どこかで聞いた時に、背中がゾクゾクきたんですよ……#魔女宅 #魔女の宅急便 pic.twitter.com/dtX5MDqOLw
— heikayuuji (@heikayuuji) March 27, 2020
ジブリの都市伝説というと作中の描写から推測される怖い話が有名ですが、「魔女の宅急便」はファンタジーでありながら少女のリアルな「思春期」に焦点を当てて心温まるストーリーが展開されるので、怖いところなどどこにもないように思われます。
具体的にどういったウワサが語られているのでしょうか。
『魔女の宅急便』 都市伝説
「魔女の宅急便」の都市伝説の特徴は、製作秘話、豆知識的なものが多く、疑惑のある部分についてもネット上で多くの人によって深く掘り下げて分析されていることです。
「魔女の宅急便」の都市伝説といわれるものをいくつか紹介します。
・魔女の「宅急便」とクロネコヤマト
・キキとトンボ=コナンと新一⁉キキとウルスラは一人二役ってホント?
・旅立つキキを見送る謎の少女って?
・キキが飛べなくなったワケ
魔女の「宅急便」とクロネコヤマト
「魔女の宅急便」はクロネコヤマトというスポンサーなくしては公開できませんでした。
何故なら「宅急便」はクロネコヤマトによって商標登録されていたからです。
誰もが一般名称だと思っていた「宅急便」という言葉が商標登録されていることが映画を製作する段になって発覚し、ジブリはクロネコヤマトに使用許可を求めました。
当初クロネコヤマトは難色を示したものの、偶然にも黒猫が登場することを知ると一転し、クロネコヤマトがスポンサーになることで商標の使用が許可されたという話はとても有名です。
スタジオジブリというと現在ではアニメーション界の一流ブランドのような位置づけですが、当時は立て続けに興行が赤字となり、いまいちパッとしない存在でした。
クロネコヤマトは自身の商標を使用した上で映画がまた赤字となるようなことがあれば、「クロネコヤマトの宅急便」というイメージに傷がつくのではないかと使用許可を尻込みしたようです。
話し合いの末、ジブリはクロネコヤマトの協力を得ることができましたが、もし許可が下りなかったら「魔女の宅急便」という名前の映画は存在していなかったのだと思うと不思議ですね。
キキとトンボ=コナンと新一⁉キキとウルスラは一人二役ってホント?
キキとトンボのやりとりを聞いていて、その声にピンときた人も少なくないのではないでしょうか。
キキの声優=高山みなみとトンボの声優=山口勝平は「名探偵コナン」でコナンと新一として共演しています。
二人とも人気声優なので他作品でもたびたび共演はしているのですが、メインキャラクターとして二人が会話する姿が印象的なためか、「名探偵コナン」の映画が公開されたタイミングで「魔女の宅急便」が地上波で放送された際は特に話題となりました。
また、高山みなみは「魔女の宅急便」でキキに助言をする絵描きのお姉さんウルスラも演じています。
同じ声優が一人二役すること自体は珍しくはありませんが、一本の映画の中に一人二役の掛け合いのみで成立するシーンがあるのは大変珍しいことです。
旅立つキキを見送る謎の少女って?
映画冒頭で旅立つキキを見送るために友達が集まって別れを惜しむシーンがあります。
そこに一人、顔の見切れた少女が映っているのをご存知ですか。
ピンク色のワンピースに黄色のスカーフを巻いた少女が画面左上に確認できるのですが、彼女は笑顔が口元までしか映っておらず、しかも他の見送りの子たちにはちゃんと動きがある中、彼女だけが微動だにしていないのです。
さらに不可解なことに次のシーンで突然その少女だけが姿を消しています。
あまりに不自然なため目についた人も少なからずいたようで、ホラー的解釈をした一部の人たちの間では「少女の幽霊が映りこんだのではないか」とウワサになりました。
疑惑の少女については、ぎりぎりの日程のなかで製作されたためではないか、というとらえ方をする意見が多いようです。
「魔女の宅急便」は脚本に若手を抜擢して製作開始したものの途中で担当が宮崎駿にかわり、ストーリーが当初の予定よりもかなり長くなってしまい、製作陣は時間に追われることとなりました。
長編アニメーションを完成させるにはかなり厳しい製作スケジュールだったため、ただのにぎやかし(=モブ)である疑惑の少女を動かす余裕がなかっただけではないかという推測が支持されています。
少数派ですが、この少女について面白い考察がありました。
疑惑のシーンの右上には足元しか映っていない男性がいるのですが、少女と男性の服装から「もしかしてハイジとおんじでは?」と考察したものです。
「アルプスの少女ハイジ」は宮崎駿が携わっていた作品の一つで、ハイジは宮崎駿がデザインしたキャラクターです。
言われてみれば疑惑の少女のピンクに黄色というカラーリングはハイジっぽく見えないこともなく、足元しか映っていない男もおんじと言われればおんじに見えます。
ファンサービスとして出演させたという可能性もあり得なくありませんが、少女の服装はハイジとは全く違いますし、ずんぐりしたズボンの男性をおんじだと決めつけることはできません。
「ハイジ説」の信ぴょう性は低いですが、こういった意見があること自体がさまざまなとらえ方ができるジブリ作品ならではの面白さの表れといえるでしょう。
キキが飛べなくなったワケ
物語中盤、魔法の力が弱まりキキは飛べなくなってしまいました。
その理由は映画の中では明確にされていないため、作中描写や原作の設定、宮崎駿のインタビューなどからいろいろな考察がされています。
ネット上で見られる主な考察は3つに分けられます。
①キキが恋したことが原因
②度重なるストレスが原因
③キキの身体的な変化が原因
①はキキがトンボに恋したことがきっかけで魔力が弱まってしまったというものです。
キキは飛べなくなる直前、トンボと二人で出かけています。
この時キキの中に芽生えた恋心が一時的に魔法を使えなくしてしまったのではないかと考える人が一般的には多いようです。
原作である児童書「魔女の宅急便」でも同様にキキが魔法を使えなくなる場面があるのですが、このときの原因は「恋」であるとはっきり書かれています。
これを根拠とする意見のようですが、宮崎駿が「キキにとってトンボは恋愛対象ではない」といった旨を語っていたことからネット上で映画「魔女の宅急便」について考察する人々にはあまり支持されていません。
②は新しい街での慣れない生活に加えていろいろな人に出会ったことで積み重なっていたストレスが魔力に影響を及ぼしたのではないかとするものです。
決定打となったのは間違いなく、雨の中必死の思いで届けたニシンのパイを受け取った少女の「私このパイ嫌いなのよね」という一言でしょう。
トンボとの約束にも間に合わず、びしょ濡れで帰宅したキキの様子からはむなしさがありありと伝わってきました。
こういった出来事がキキの心を乱してうまく魔法を使えなくなってしまったということもあり得ます。
③は13歳というキキの年齢から「初潮」を迎えたことが原因で起こった一時的な混乱なのでないかする説です。
この根拠となっているのが宮崎駿の語った「キキが飛べなくなった理由は女の子なら誰にでも分かる」という言葉です。
「女の子なら誰にでも分かる理由」=生理ではないかという推測が立てられ、なおかつ13歳という年齢や腹痛を思わせるシーンがあることなどから、かなり現実味のある説として扱われています。
ウルスラに飛び方を聞かれてキキが「血で飛ぶの」と答えていたことも意味深に感じられます。
どれも説得力があり、①②③の複合的な原因であることも十分に考えられるでしょう。
魔女の宅急便には原作がある?
原作は角野栄子によって書かれた人気児童文学「魔女の宅急便」です。
1982年から24年をかけて完結した長編シリーズで、必ずといっていいほど図書館に置かれています。
映画は原作第1巻のストーリーをもとに製作されました。
映画化する際、キャラクターデザインや設定などが原作からかなり変更されたため、角野栄子と宮崎駿の意見のすり合わせが何度も行われたといいます。
角野栄子はもともと娘と娘の描いた絵をモデルにキキの物語を書き始めたそうです。
宮崎駿はというと、「思春期」をテーマに置いて、周囲の若い女性スタッフたちを観察しながらキャラクターをリアルに作り上げたといいます。
角野栄子が自身や娘を重ねながらも、キキをあくまでファンタジーの世界に置いていたのに対し、宮崎駿は魔法や魔女をできる限り現実の側に引っ張ってきて作品を描こうとしていました。
前述のように原作ではキキが魔法を使えなくなってしまったのは「恋」のせいであると断言していて、トンボとキキの「恋」が物語の重点になっていました。
一方宮崎駿はキキの「恋」を否定しています。
同じ「魔女の宅急便」というタイトルですが、角野栄子と宮崎駿が作品に込めた思いはそれぞれ全く違うようです。
のちに角野栄子がインタビューで「もっと可愛いラブストーリーになると思ったが違っていた」と語っていることからも思惑の違いがうかがい知れます。
このことから「映画を見た原作者が激怒した」というウワサもあります。
はじめて見たときは「あれ?」と思ったようですが、結果的に原作を手に取る人が増えてよかったとも角野栄子が語っているので確執が残ってはいないようです。
テーマが違い、ストーリーが違い、キャラクターデザインも全然違うので、原作と映画は全くの別物と考えるべきでしょう。
裏テーマやジジの謎って何?
なるほど。魔女宅で最後黒猫のジジがキキに話さなくなったんだけど、なぜだと思う? pic.twitter.com/boBd710DeT
— みーこ ☆闇浄化の巫女☆ (@miko119808) June 2, 2020
映画「魔女の宅急便」に宮崎駿が裏テーマを隠したと言われています。
映画に登場する魅力的な女性キャラクターたちがカギを握っているようです。
そして、原作ではキキが飛べるようになると再び喋れるようになっていたジジですが、映画ではラストシーンでも「ニャー」と言っていました。
喋れないままのジジの謎についても考えていきましょう。
魔女の宅急便には裏テーマがある?
「思春期」のキキが成長する様子を描いた物語として映画「魔女の宅急便」は作られています。
映画化にあたってキキというキャラクターそのものが「思春期」をテーマに宮崎駿によってデザインされました。
作品を読み解くうえでキーワードになってくる「思春期」ですが、実はキキ以外の女性キャラクターたちは全く違うテーマを担っているのです。
他の女性キャラクターたちは「各年代」を代表して登場しているのです。
・キキ(13歳)=「思春期」
・ウルスラ(18歳)=「青春」
・白猫の飼い主マキさん=「社会人」
・おソノさん(26歳)=「妊娠・出産」
・おしゃぶりを忘れたママ=「子育て真っ最中」
・キキの母親コキリさん(37歳)=「子育て卒業」
・ニシンのパイの老婦人(70歳)=「老後」
こうして並べてみると、上記の女性キャラクター全員で「女性の一生」というテーマを表していることがよくわかります。
悩んだり迷ったりする「思春期」真っ最中のキキですが、他の年代を代表するキャラクターたちは皆優しくて美しい女性です。
キキが成長した姿が彼女たちだとすると、キキの未来が明るく希望に満ちたものであるように感じられますね。
ジジが喋れなくなった本当の理由は何?
ジジが喋れなくなった理由は深く考察された仮説があります。
それは「ジジの声はキキのイマジナリーフレンドの声だった」というものです。
【イマジナリーフレンド】とは…
幼児期によく見られる想像上の友人のこと。
想像力で理想の友人や自分の理解者、代弁者を作り上げる。
ぬいぐるみや人形、ペットにイマジナリーフレンドを投影する場合もある。
ジジはキキ以外と会話するシーンが徹底的に排除されて描かれています。
さらに、キキの抱いた嫉妬や不満を代弁するようなセリフが多くみられます。
宮崎駿はジジが喋れなくなった理由について「ジジの声はキキの声」と言及しており、ジジがラストシーンでも人間の言葉を話さなかったことについて「キキがジジの声を必要としなくなったため」「変わったのはジジではなくキキ」と語っていました。
キキは自分自身の本音をジジに投影したイマジナリーフレンドに語らせることで「素直で明るいキキ」といううわべを取り繕っていたところ、環境や心身の変化に戸惑ながらも成長してイマジナリーフレンドと決別することができた、と解釈することができます。
実際、キキが外面を保てなくなり、トンボに対してどうにもならない不満をあらわにして彼を困らせた後からジジは喋れなくなっていました。
ジジの声=イマジナリーフレンドの声という話は現在はかなり有力視されており、数々の作中の描写を根拠に挙げて説得力のある仮説が数多く展開されています。
これが本当だとすると、「魔女の宅急便」で宮崎駿が「思春期」をテーマに描いたのは、キキという少女がイマジナリーフレンドから卒業する姿ということになります。
とても納得のゆく説なのですが、これについて個人的には引っ掛かりを覚えました。
まず第一に、イマジナリーフレンドというものは就学前(7歳)もしくは10歳までに卒業することがほとんどであるといわれています。
12歳以降もイマジナリーフレンドを保持していることもあるようですが、児童期(12歳まで)を過ぎた場合はイマジナリーフレンドを自分の想像上の存在であると認識していることも多く、ジジを喋る猫だと信じ切っているキキには当てはまらないように思いました。
そして第二に、ジジの声=イマジナリーフレンドの声であれば、ジジはイマジナリーフレンドを重ねられていただけで、もともと喋らない普通の猫だったということになります。
元も子もない話ですが、気ままな普通の猫が空飛ぶほうきに一緒に乗って旅に出るでしょうか。
現実にバイクに同乗する猫も存在するようなので「魔女の宅急便」のような魔法の世界であれば猫もほうきにくらい乗るかもしれませんが、普通の猫がぬいぐるみの代わりをつとめられるでしょうか。
キキがお届け物のぬいぐるみを失くしたとき、ジジはぬいぐるみの代わりとしてその場をごまかしています。
ジジの声=イマジナリーフレンドの声とする意図があるとすれば、ジジに個別の人格があるとしか思えないこのシーンは不必要なはずです。
キキが10歳以降もイマジナリーフレンドを持つ少数派で、ジジがぬいぐるみの代わりをした場面自体キキの想像にすぎない、と言われれば「ジジ=イマジナリーフレンド説」を完全に否定はできません。
とはいえ、キキと意思疎通できているとしか思えないシーンがあることから考えて、少なくともジジは普通の猫ではなかったようです。
まとめ
魔女の宅急便
5億年ぶりに見た
やさしさに包まれたなら
ルージュの伝言懐かし過ぎて切な過ぎてめちゃ泣きそうになる
この時代のジブリはマジ凄いわ pic.twitter.com/HiFr0peAiN— DBG/玉井さん (@keionbu1985) January 25, 2021
「魔女の宅急便」の都市伝説は事実であるものが多く、疑わしい怖いウワサもありましたが製作背景から予想される現実的な説が支持されています。
怖い設定が作品の裏に存在するのではないかと深読みする人もいるようですが、宮崎駿が隠した裏テーマは、各年代を代表するキャラクターたちで描く「女性の一生」というキキの明るい未来の暗示でした。
ジジが喋れなくなった理由は説得力のある説はあるものの、断言するには決め手に欠けるようです。
未だに都市伝説として様々な仮説がまことしやかに語られているのは「魔女の宅急便」がそれだけ人々に愛されている証拠です。
大人から子どもまで楽しめる単純明快な物語に隠されたテーマやジジの謎が作品に深い味わいを持たせているのでしょう。