2008年に公開されたジブリ映画「崖の上のポニョ」は、愛らしいキャラクターと愉快なテーマソングによって、子どもたちに10年以上親しまれている名作です。
しかしそんな「崖の上のポニョ」にも他のジブリ作品と同じように薄ら怖い都市伝説が語られています。
物語中盤で津波が町を襲った後は、すべて死後の世界の話だというのです。
津波を呼び、人々を死に至らしめ、死後の世界で宗介を導くポニョは死神のような存在ではないかとする都市伝説までネット上でまことしやかにささやかれています。
本当に「崖の上のポニョ」にそんな怖い裏設定があるのでしょうか。
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都市伝説ジブリ『ポニョ』が怖い?
崖の上のポニョは「死後の世界」が舞台だった【ジブリの都市伝説・裏設定】 https://t.co/Okn8StkazS @YouTubeより pic.twitter.com/3JeqDeggKT
— ブルービーバーきんぐ@youtube (@kingkingkingvv) August 22, 2019
物語中盤に町を襲う津波によって人々は死んでしまい、それ以降は「死後の世界」であるとする都市伝説があります。
それを裏付けるかのように単なる冒険譚としては不自然な点がいくつか見受けられ、ポニョの本名ブリュンヒルデの由来も「死」をイメージさせるものです。
「崖の上のポニョ」は心温まる物語とみせかけて恐ろしい「死後の世界」を描いた作品なのでしょうか。
『崖の上のポニョ』あらすじ
小さな港町に暮らす5歳の少年宗介は、ある日海岸でビンから抜けなくなって困っていた不思議な金魚ポニョを助けてあげました。
二人はお互いを「好き」になるのですが、ポニョはほどなく海に連れ戻されてしまいます。
しかしポニョは父フジモトの目を盗んで逃げ出しました。
強い魔力を手に入れて人間の女の子の姿になったポニョは嵐に乗って宗介に会いに行きます。
ポニョが魔力の源をめちゃくちゃにしたことによって海は荒れ、大津波が人々を襲います。
魔法が暴走して世界が破滅してしまうことを防ごうと、フジモトは自身の妻でポニョの母親の海の女神グランマンマーレを頼ることにしました。
グランマンマーレはポニョと宗介の幼い恋の力を信じて、二人に試練を課すことに。
嵐の通り過ぎた翌朝、宗介は母リサを探すため、ポニョと一緒に一面が海になった世界へ船で漕ぎ出すことに決めたのですが、ポニョはなぜだか眠たげで…。
ポニョの都市伝説
宗介とポニョの冒険の先には、子ども向けのアニメーションらしい結末が待っているのですが、都市伝説を知ってしまうと単純なハッピーエンドとは思えなくなってしまいます。
もはやジブリ作品に都市伝説はつきものですが、「崖の上のポニョ」の都市伝説は根拠や説得力において、他作品とは一線を画しています。
「死後の世界説」
「崖の上のポニョ」の最も有名な都市伝説が、ポニョがやってきた際に町を襲った津波によって宗介以外の人間が死んでしまったという、「津波以降は死後の世界である」とする説です。
津波の翌朝には、高い崖の上に建っている宗介の家の庭まで水没しています。
日本沈没、どころか世界の陸地の多くが海に沈んでいると思われる描写です。
「死後の世界説」では、その後二人が出会う人々は全員津波で亡くなった人たちで、宗介も死後の世界へとポニョに導かれていったというのです。
「ポニョ死神説」
「ポニョ死神説」という都市伝説もあります。
ポニョの本名ブリュンヒルデは北欧神話で死者の魂を導く存在ワルキューレの名前であることから、ポニョ=死者を導く存在、つまり死神のような役割なのではないかと言われています。
名前が同じだけなく、ブリュンヒルデはワルキューレの長女で9人姉妹をまとめあげており、ポニョも同じように小さな妹たちを大勢率いて宗介に会いに行くシーンから姉妹でリーダーシップをふるっていたことが伺えます。
「ポニョ死神説」ではブリュンヒルデの父とフジモトの類似点も挙げられます。
ブリュンヒルデの父は、娘の夫となるのにふさわしい男が現れるまでブリュンヒルデを眠らせました。
フジモトも渋々ながらグランマンマーレの提案を受け入れて、ポニョと宗介に試練を与えていますが、試練の最中、ポニョが眠りに落ちそうになっていたという点も、眠らされたブリュンヒルデを想起させます。
また、フジモトがポニョによって世界が破滅することを防ごうとしたように、ブリュンヒルデの父も世界の終末を止めようとしています。
「崖の上のポニョ」制作中の宮崎駿は、ブリュンヒルデを主要人物に据えたオペラの曲「ワルキューレの騎行」を大音量で流しながら作業していたそうです。
このことから、ワルキューレのブリュンヒルデがポニョのモチーフの一つであることは間違いないでしょう。
物語の中で町をすべて飲み込む津波は魔力を手に入れたポニョが起こしたものです。
この津波によって登場人物が皆死んだのだとすると、ポニョが彼らに死をもたらしたと言っても過言ではありません。
その津波の後、船で出会った赤ん坊をあやすシーンは、苦しむ魂を救済したかのようにも見えます。
これらがポニョが死をもたらし、魂を導く存在であるという描写だとすると、「死神」という解釈にも合点がいきます。
津波で死後の世界の描写って本当?
崖の上のポニョ、このあたりのシーン、心理的になんだか怖いんだよなぁ…。#崖の上のポニョ pic.twitter.com/7Jpk0PD2um
— 煉獄ゔぁーみりをん(低浮上)@心を燃やせ!がんばろう真備! (@vermilion_01) August 23, 2019
嵐の中、崖の上の自宅へと車を走らせるリサに容赦なく襲い掛かる波は何もかもを飲み込み、全てを壊してしまいそうなほど強大に描かれていました。
しかし津波の後、世界はとても静かで穏やかです。
津波の被害がなかったことになっているのはあまりにも不自然であることから、津波以降は「死後の世界」なのではないかといわれています。
津波のあと、宗介とポニョが出会う人たちが、水没した世界にあって全く悲観していないのも奇妙です。
津波のあとの世界とは、一体どんな世界なのでしょうか。
津波で水の中の描写が怖い?
津波のあと、水中を泳ぐのは古代魚たちです。
ごつごつとした魚や、虫とも魚ともいえない生き物が這いずる海底をみて、「怖い」と思う人もいるようです。
確かに、底が見えるほど透明な水の中、足元を巨大な古代魚がうようよ泳ぎ回っていると思うとぞっとする気持ちもわかります。
このような水中の景色は、フジモトが長年集めていた魔法の源がポニョによってめちゃめちゃにされたことで、フジモトの目的であった「原始の海への回帰」が望まぬ形で起こってしまった結果です。
フジモトは「カンブリア爆発」という言葉を作中で口にしていますが、宗介とポニョが目撃した古代魚たちはデボン紀のものでした。
これについて宮崎駿は「カンブリア紀には魚がいないから」とコメントしています。
つまり、宮崎駿はあくまで「魚」を描きたかったのです。
「魚の子」であるポニョの物語なので、「魚」にこだわったのでしょうか。
宗介も古代魚にとても詳しく、水中を行き交う古代魚たちを怖がるどころか、うれしそうに彼らの名前を言い当ててみせています。
もともと宗介は古代魚に興味があったと思わせるシーンです。
津波によってデボン紀の古代魚が泳ぐ海になったわけですが、この津波はそもそもポニョの魔法が引き起こしたものです。
意図してか、意図せずにかは別として、ポニョが宗介の好きな古代魚たちを出現させたと考えることもできます。
ポニョの魔法が作り上げた海だとすれば、宗介にとって恐ろしいものにはならないはずです。
原始の海の表現に怖がらせる意図はないでしょう。
実は死後の世界だった?
津波の後の世界は夢の中のように美しく、平和で、登場人物たちも街が沈んだことへの悲壮感がまるでありません。
彼らは皆死んでしまって、苦しみから解放され「死後の世界」を穏やかに漂っている魂なのでしょうか。
津波以降が「死後の世界」であることの根拠としてあげられるのが、リサの働く老人ホームのおばあちゃんたちの変化です。
物語前半、隣の保育園から忍び込んだ宗介と楽しそうに話すおばあちゃんたちはみんな車椅子に乗っています。
ところが津波のあと、宗介とポニョが最終的にたどり着いた先にいたおばあちゃんたちは自らの足で立ち上がり、歩くどころか少女のように軽快に駆け回っていました。
これは「不自由になった肉体から解放された=死んだ」ということではないかと指摘されています。
「死後の世界説」が支持されているのは、作中表現によるものだけではありません。
「崖の上のポニョ」についてのインタビューの中で、宮崎駿が「海と陸」を「生と死」と言い換えることもできるとする発言をしたことが大きな要因です。
音楽を担当した久石譲にいたっては作曲のテーマに「死後の世界」という言葉をそのまま挙げています。
生命の起源とされる海を舞台に繰り広げられる物語のヒロイン、ポニョに死者を導くワルキューレの名前をつけたことも「生と死」というテーマにつながります。
これらを証拠として、「死後の世界説」はかなり信ぴょう性のあるものとして語られているのです。
しかし、宮崎駿は別のインタビューのなかで「死は匂うけど」その中に描きたかったものがあって「生と死」という言葉を使いたくないとも言っています。
「崖の上のポニョ」の中には「死」というエッセンスはあるけれども、単に「死後の世界」というものを描きたかったわけではない、と受け取れる言葉です。
ポニョに隠された「死」とは?
では宮崎駿が物語に織り込んだ「死」とはなんだったのでしょう。
ポニョが公開される以前、2002年に出版された「虫眼とアニ眼」という本の中で宮崎駿は理想の死に場所を描いています。
それが保育園とつながったホスピスです。
自由に出入りできる子どもたちが、ホスピスのお年寄りに泥だんごを持ってきたり「いつ死ぬの?」と遠慮のない質問を投げかけたりできる場所を描いて、「こんなところで死にたい」と語っています。
宗介が通う保育園に隣接する老人ホームは、宮崎駿が「崖の上のポニョ」公開の6年以上前に描いた理想の死に場所そのものなのです。
ここにひとつ「死」が描かれていることがわかります。
「崖の上のポニョ」の中にある「生と死」とは、津波を境に「生きるか、死ぬか」といった殺伐としたものではなく、「生きていくことと、死んでいくこと」なのではないでしょうか。
「生と死」の発言だけが取りざたされて、宮崎駿が恐ろしい裏設定を公に認めているかのように扱われていますが、「崖の上のポニョ」は悲劇ではないとも公言してます。
宮崎駿が子どもたちに向けて悲劇を作る理由がないと断言していることからして、「死」というテーマが含まれていたとしても都市伝説のような恐ろしいものではないと考えられます。
ポニョが赤ん坊をあやすシーンは、自分のことしか考えていなかったポニョが他人を思いやれるようになり、「その後ポニョがちゃんと陸で生活していけるという担保ために」必要だった、と宮崎駿は言っています。
ポニョたちの「その後」を「死後の世界」の中で描きたかった、とは思い難い発言です。
津波は「魔法」?
宮崎駿は「津波は人の心をきれいにする魔法」だといいます。
「崖の上のポニョ」に出てくる津波は、ポニョの魔法の津波です。
ポニョの魔法で満たされた世界を、原始の海に沈んだ町として表現したのではないでしょうか。
2011年の東日本大震災を境に、津波は日本人にとって恐怖の対象として決定づけられてしまいました。
津波の描写があることから「崖の上のポニョ」も震災直後からしばらく放送自粛を余儀なくされています。
こんな形で「崖の上のポニョ」に恐怖が付け加えられることは宮崎駿にとって予想外だったはずです。
津波を脅威と捉えることが当たり前となってしまったことが、「ポニョの魔法に満たされた世界」を「恐ろしい死後の世界」とする都市伝説に拍車をかけたのではないでしょうか。
まとめ
数年ぶりに「崖の上のポニョ」を見てた。公開当時も思った事だけど、この映画はやっぱり薄ら寒いというか、ファンタジーの皮被ったホラー映画みたいに感じるんだよね。なんか不安になっちゃう…ジブリ映画で1番怖い作品に感じるなぁ。 pic.twitter.com/NUSfH8BtKD
— ハシ (@hashilihashi) December 24, 2016
「崖の上のポニョ」のジブリ側がテーマとして「生と死」「死後の世界」といったものを挙げているので、津波以降が「死後の世界」であるとする都市伝説は完全に否定できるものではありません。
しかし、津波はポニョの魔法であって、その後の世界も怖いものとして描かれているわけではないことがうかがえます。
怖い都市伝説になってしまった背景には東日本大震災による津波への認識の変化があるようです。
ジブリならではの表現で「死」が盛り込まれ、子どもだけでなく大人も深く考えさせられる映画になったことが都市伝説を生むきっかけになったのではないでしょうか。